こんにちは。吉川です。

 

今回は日本企業の皆さんが海外企業とコミュニケーションをとる際の留意点について、特に文化的な背景あるいは人事慣行の違いから生じるミスマッチについてご紹介します。本日の内容は私自身がこれまで学んだ知識と、数多くの実際の経験をもとに記載しております。必ずしもこれが全ての状況に当てはまるわけではありませんが、実務家の方から見ると、多少なりとも「あるある感」があるのではないかと思います。

 

まず「海外企業」という言葉の曖昧さについて、文字通り日本以外の国の企業を指す言葉でありますが、これだとアメリカの企業も中国の企業もイスラエルの企業もアルゼンチンの企業も、全て一緒くたに語ってしまい、到底合理的にカテゴライズできる単位ではありませんので、今回は「欧米企業」というニュアンスに限定して使いたいと思います。(勿論「欧米」でも到底一括りにはできませんし、同じアメリカでさえ実は西と東では全く異なる企業文化であったりしますが、今回は気軽な読み物として、その辺りはご愛嬌でお願いします。)

 

なお早速余談ですが、上記に関連し、海外進出をしている日本企業の中には本社組織として例えば「海外事業部」といった部署がよくありますが、この「海外」というビッグワードはビジネスを語る上では大変危険でして、アメリカも中国もブラジルも全てまとめて管理しようとすること自体、非常にナンセンスです。こうした考えをお持ちの経営者の方、あるいは実際にそこで働く従業員の方は、その管理単位が果たして適切であるか、一度客観的に振り返り検討してみることをお勧めします。

 

さて、本題です。コミュニケーション上の留意点についてご紹介します。今回は特に、仕事上の会議の場について考えてみましょう。

 

日本型組織における、何らかの重要な会議の場を想像してみてください。ある議題についてその利害関係部署の責任者(仮に部長級とします)を筆頭に、その下の課長が同席し、更には係長や実務担当者が出席します。部長が最初の仕切りとして、ある種儀式的に挨拶と簡単な議題の紹介をした後、実際の説明は課長に任せ、課長も場合によってはさらに詳細については実務担当者に任せる、といった光景は往々にしてあると思います。

 

これは日本型の人事慣行によるところが大きく、一般にジェネラリスト型の管理職を養成するのが日本組織であるとすると、例えば今会議の席に責任者として座る財務部長は、1ヶ月前までは会社のトップ営業マンであったりするため、本人のキャパシティの問題ではなく、土台企業財務に関する詳細を本質的に理解できるわけがありません。結果、責任者としてその場を仕切っている「風」ではあるものの、本質的な部分について本人は自分の言葉では全く語れない、といった状況が生まれます。(くどいようですが決して批判的なわけではなく、あくまで人事慣行による必然的な状況です。)

 

さて、これが欧米型だとどうでしょうか。こちらも人事慣行によるものですが、管理職であっても基本的には職能として何らかのスペシャリティを持っており、その上で広範なマネジメントに関する知識や素養を持つ人が、シニアマネジメントとして組織を上がっていきます。従って、上の例のように、ずっと営業をやってきた人がある日突然財務部長になるということはまずあり得なく、仮にそうした人事があると、本人としても結果が出せないことが明白でありキャリアを毀損する可能性が高いため、このような人事は承諾されないでしょう。

 

こうした欧米型の人事慣行により養成されるリーダーは、例えば財務部長の例であれば、あくまでも彼、彼女は財務畑で経験を積んだ財務の専門家であり、そこにマネジメントとしてのスキルセットが上乗せされている、といった人物になります。従って、当然ですが、重要な会議の場であっても、付随的なデータの詳細といった事柄を除き、どの部下よりも彼、彼女自身が本質的に物事を理解した上で説明ができますし、責任を持って次のステップに向けた生産的な議論ができるわけです。

 

さて、ここまでは「良し悪し」ではなく、単なる「違い」の話です。ではこの異なる2種のリーダーが交わるとどうなるのでしょうか。

 

多くの欧米型組織のリーダーは、日本型の人事慣行など当然知らないので、自分たちとの背景の違いなどいちいち気にしません。会議の場において、(言語の壁は一旦置いておいて)全くもって自分の言葉で本質を語ることができない相手方(この場合は日本企業側)のリーダーは、ひどく頼りなく見えるわけです。責任者の目の前で部下が説明し、部下が質問に答えるという状況は、欧米型組織のリーダーからみるとひどく滑稽です。彼らは常に部下との下克上のリスクがある緊張感の中で仕事をしているため、自ら部下に弱みを晒し、助けを請うこと自体、非常にナンセンスに感じられるのです。

 

一つ具体例をご紹介しましょう。以前の職場でお世話になった、とあるアメリカ企業のCIOの方で、今でも個人的にも繋がりのある、とても尊敬のできる方がいます。初めてお会いしたのは数年前、当時私がこの会社の業務理解のために会社のITシステムに関するインタビューをお願いし、そこでご対応頂いたのがこの方なのですが、実はこの時、この方はヘッドハンティングでこの会社にCIOとして来てから、まだ3週間しか経っていない状況でした。状況を鑑み、詳しい実務家の部下を連れてきても勿論構わないと事前に伝えたのですが、当日彼は単身でインタビューに臨み、結果、あらゆる社内システムについて驚くほど詳細に、自分の言葉で語ってくれました。売上高で10億ドルの規模の会社なので、決して範囲が狭いわけではありません。これは勿論、彼のリーダーとしての資質によるところが大きい(つまり欧米型の人事慣行であっても必ずしもこれだけのクオリティを出せるわけではない)のですが、とはいえ日本のジェネラリスト型の人事慣行を前提とした場合には、到底不可能な次元ではないかと思います。

 

特に海外進出を始めて間もない企業では、「海外視察」というよく分からない名目の下に、お偉いさん御一行様がぞろぞろと、英語が達者な部下にお供をさせ、提携先の海外企業へ訪問するといったケースも少なくないと思います。そして「顔合わせ」という、これまたよく分からない議題で先方のマネジメントチームを呼び会議を設け、責任者がお飾り程度に挨拶をした後、英語が達者な部下にファシリテーションを任せて意見交換「的な」ものを行い、何も核心的なことを発しないままニコニコして帰っていく、という場面もまさしく「あるある」ではないでしょうか。(なお言語の壁は、これはこれで非常に難儀な問題なのですが、今回の記事では特に問題視しておりません。)

 

どちらが優れたリーダーであるとか、優れた人事慣行であるとか、決してそういう問題ではありません。ただ、上記のような「違い」を前提とした時に、私たちが先方からどのように見られているか、一度考えてみてはいかがでしょうか。対面でコミュニケーションをとることで信頼関係を築くつもりでわざわざ海を越えてやってきたのに、実際は全くの逆効果で、かえって信頼を毀損しているのかもしれません。

 

つい長文になりました。今回は「会議編」ですが、機会があればまた別の角度からお伝えしたいと思います。

 

 

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https://skywalktax.jp/

 

ではでは。(吉川周佑)